2015年12月24日木曜日

STAR WARS エピソード7 フォースの覚醒

昨日の祝日に、STAR WARS エピソード7 フォースの覚醒を見に行った。

映画館は今はやりのシネマコンプレックス、いわゆるシネコンだ。壁にはSTAR WARSのポスターが沢山貼られていた。やはり、注目されているのだろうなと思わせた。

入り口には、なぜかSTAR WARSでは無いものが貼られていた。

でも、入り口を入ったところにポスターが。

祭日なので、すごい行列を想像していたのだが、それほどでも無い。

実は、始まる1時間前に来たのだが、STAR WARSの前のアニメの放映開始時には、かなりの人数が集まり、長い行列ができていたので、きっとSTAR WARSもそれなりに集まるだろうと思ったが、5分前に再度来たら、行列も無くそのまま簡単に入れてしまった。

これだけ有名だというのに。アニメは行列が出来るほどだったのに、どういうこと? と思ってしまった。

映画は、3D版にした。3D版は吹き替えのみだ。まあ、最近は字幕を追っかけるのも疲れるので、自宅で映画見るときも吹き替えが多いので良いのだが。

席は予約制だったので、真ん中の一番後ろを予約した。席に着くときにも、やはり、人はそんなに多くなかった。一番後ろだったので、スクリーンが小さく見えるかと思ったが、やや小さ目ながら、3D効果も十分で、視点移動も少なくて済み、結果オーライだった。

もう、3Dもそんなに珍しくない。とても自然だ。アバターと同様に強烈な飛び出し感は少なめだ。しかし、それなりに3D感はあった。めがねを付けるタイプだった。それに、あまり疲れなかったのはよかった。

見終わって思ったのは、STAR WARSって意外に難しいのかもしれないと言うことだった。内容がという意味では無い。STAR WARSという映画そのものがだ。というのも、STAR WARSの第一作は、すでに38年も前の1977年に初公開されている(日本では、1978年)。

30代の方は、すでにリアルタイムに見ている人はいない。40代も中盤以降となる。もう十分な大人どころか、いいおじさん/おばさんの年代だ。過去の物語をある程度知らないと、この映画には入り込めないだろう。何も知らない若い人たち向けとしては作りにくい。映画のはじめに過去のストーリーをかいつまんで見せたりしたら、興ざめだし。

そう、もう若くない人たちを相手に、どれだけ見せられるかという事になる。あまり知らない世代にも見てもらわないと、興業が成り立たないだろうから、若者にも見てもらわないといけない。だから、難しい映画だと思ったのだ。

私たちの前に座っていたのは、小学生くらいの子供達だった。だが、彼らは見終わって、さっぱりわからなかったと、退屈だったと言っていた。実際途中でトイレに立ったりしていた。小学生向けとはいいがたい。それでも、客席は、老若男女入り乱れた珍しい客層の厚さではなかったかと。

だから、なんだかあらすじの様な映画になってしまったのかもしれない。私らの世代では、もっと、ストーリーを煮詰めて、じっくりと腰を落ち着けて濃いストーリーを期待してしまう。この映画が薄っぺらく感じてしまうのは、そのようなことがあるのだろう。

若い世代に見てもらうためには、これくらいが良いのだろうか。しかし、テンポもイマイチだったような気がしないでもない。

以下はネタバレになるので映画を見ていない方は注意。






初の女性主人公と言われる「レイ」がいきなりフォースに覚醒してしまってセーバーで戦えるというのもどうなんだろうと思ってしまう。まあ、超能力ものでは良くあるパターンではあるが、いままでのエピソードでは、フォースを得るのは大変な鍛錬を必要とするいう話だったはずで、それがないがしろにされてはなぁと思ったりする。

そして、全体的には過去のストリーの焼き直し的な感じがしないでもなかった。というかよく似た状況だなと感じた。というのは、アナキン(ダースベーダー)が、師匠のオビ・ワン・ケノービと、決別してダークサイドに落ちた、というのと、レイア、ハンソロの息子カイロ・レンが、師匠のルーク・スカイウォーカーとやはり決別して、ダースベーダーを慕うダークサイドに落ちている構図だ。そして、オビ・ワン・ケノービも世捨て人としてルークに出会ったが、今回はそのルークが世捨て人なり、レイと出会っている。とすれば、おそらく、ルークが、レイを鍛えて立派なジェダイの騎士にするのだろうという予想がつく。、でも、なにかレイが誰かの子供である気がしてならないが。そして、謎なのがフィンだ。彼も小さい時にさらわれて、ストーム・トルーパーにさせられたとい言っていた。彼も、誰かの子孫なのかもしれない。

そして、デススターと対比するファイナライザーと、その攻略と、似たようなシチュエーションだ。同じようにXウイング戦闘機にやられてしまうのも、なんだか、ひねりが足りないのかと。

もしかすると、エピソード7は、過去の6作品を振り返って復習するためのものなのかもしれないなどと愚考してしまった。

と、いろいろと思わせてくれるものだった。しかし、主人公のレイやその脇を固めると思われるフィンが軽くて、ご都合主義的で、興ざめなところが気になってしかたなかった。

結局、良かったのは懐かしのハン・ソロやチューバッカ、レイア、ルークなどに再び会えたことだろうか。そして、その風貌は、そのまま自分たちの風貌変化そのものだった気がした。それだけ、自分が老けたということだ。

でも、酷評は、逆に、観客を呼ぶこともある。

それに、2時間退屈ではなく、そこそこ楽しめたのは本当だ。

そして、ジョージ・ルーカスって本当にすごい監督だったんだなぁ、とあらためて思った。特撮部門など自分で作ってきたこだわりが凄かったんだなぁ。どの作品も、何かしらのトピックスがあって、こだわりがあった気がする。例えば、氷の星だったり、森林の星だったり、ファッション(パドメ・アミダラの衣装)だったり。それは、正直言って無かったかなぁ。雇われ監督ではしょうがないのかもしれないが。

まあ、他の方の批評に、エピソード7は、予告編だったというものがあるが、あながちそんな感じなのかもしれない。色々と、伏線も張ってあるし、起承転結の「起」に過ぎないのだろうと言われればそうなのかもしれない。今後のエピソード8、9を楽しみにしよう。

そうそう、デズニーの映画となっているが、最初に大概出てくるお城は、出てこなく、ローカスフィルムが今までどうりにでてくるものだった。連続性という意味で、控えたのかもしれない。